佐々木睦朗先生の講演『私の構造設計手法』に行ってきました。
上の画像は主催で会場となった京都工業繊維大学のHPより。
備忘録としていくつか気に留めた点をメモします。
・ デザイナーになりたかった
・ 最初に衝撃を受けた建築は代々木国立競技場、人はフェリックス・キャンデラ
・ 単なるphotogenicではなく、constructionがある建築が良い
・ ポストモダンの(ような)建築とは距離を置いていた
・ 思想がない仕事には手をつけない
・ 時代の潮流のpeak outを見極める。peak outのときの建築には緊張感がない
・ photogenicの天才がミースで、constructionの天才がガウディ
・ 必ず想定外のことはいつか起きる
・ いちゃもんをつける人間には結果を見せて黙らせる
[自由曲面について]
・ なぜ純粋な圧縮や引張の場が嫌いかというと、形状がそれに支配されてしまうから
・ 川口衛さんいわくの「構造のゴールはゴールそのものではなく、その近傍にある」ということばに同意する
建築構造の世界ではとても著名な方ですので、佐々木先生の活躍はメディアを通して知っていたのですが、直に話を聞いたことはなかったので行ってきました。
僕は先(昨年の6月19日:兵庫県建築構造技術研究会)に佐々木睦朗先生の弟子(と言っていいのかしら?)の満田衛資さんの話を聞いていて、そのときの満田さんの佐々木さんについての語り方が印象的でしたので、佐々木睦朗先生その人もそうなんですが、満田さんの師というメガネで見て、聞いていました。
本題。
上のメモでも書いたように、佐々木先生がはじめて衝撃を受けた建築は言わずと知れた代々木国立競技場だそうです。たしか18歳とか言っていたような気がします。「おれもこんな建物をつくってみたい」と思ったそうです。建物が代々木国立競技場なら人はフェリックス・キャンデラ(建物でいうとバカルディ詰瓶工場)だったとのこと。同じように「おれも・・・」と思ったそうです。
最初はデザイナーというか意匠設計者になろうとしていたようですが、大学時代、線を引くのが上手な奴に比べるとどうしても自分は上手にひけない、というきっかけもあって、数学も好きだし、先に書いた代々木やキャンデラへの志向もあって、構造への道に踏み出したとのこと。
1970年に名古屋大学の修士課程を修了後、木村俊彦構造設計事務所に勤務。そのときの建物として、沖縄海洋博物館を紹介されていました(現在は取り壊され、沖縄美ら海水族館)。
1980年に独立し、佐々木睦朗構造計画研究所を立ち上げますが、時代の潮流はポストモダン。佐々木先生の目に、“構造はめちゃくちゃで”合理性が毀損されたように映ったポストモダンの建物をやる気は起きずに、自信曰く“与太郎”生活をしていたそうです。そのときに花を挿すことに興味を持ち、そこからも建物におけるプロポーションや間の感度を得たのかもしれない、と言われていました。そのころに設計した美和ロック工業玉城工場は、徹底した構造躯体のローコスト化に挑戦し、ときはバブルの頃の建築に対するアンチテーゼだったそうです。
とにかく、没論理的で合理性をないがしろにし、表層的な装飾で取り繕った建物が大嫌いで、佐々木先生の目にそのように映っていたガウディの建物も大嫌いだったそうです。しかし、感銘を受け続けたキャンデラに会いに行ったときにその話をしたら、激怒され、あの吊り模型の話をされたそうです。根が単純で素直、と自身で言われているのに違わず、そのころから考えを改め、佐々木先生いわくの「フォトジェニックの天才がミースで、コンストラクションの天才がガウディ」となったとのことです。
与太郎生活を続ける佐々木先生を木村俊彦さんが見かねたのか、あるいは佐々木先生の(振動解析に対する)技術が必要だったのか、たぶん両方なんだろうけど、梅田スカイビルの設計をやるようにといわれたのが1980年代後半。
それを終えたときに、天啓がおりた瞬間とさえ言ってもよいと言っていたのが、1995年1月23日に伊東豊雄さんから送られてきたのがせんだいメディアテークのスケッチ(僕たちもみたことあるあの有名なスケッチです)。僕のことばではうまく言えませんが、そのころいろいろと離散的に浮かんでいた思考が形をもってあらわれてきた、というようなニュアンスで話されていたように思います。
それ以後の、伊東豊雄さんやSANNAや磯崎新さんをはじめとした様々な方と協同した活躍は知られているとおりです。そういえば、余談になりますが、3回くらい「磯崎さんはほんとうに頭がいい人で」と言っていたような気がします。
講演後の質疑応答の時間では、新しいことに挑戦するとき、様々な人から様々な雑音(ざっくばらんにいっていちゃもん)を聞かされるとき、どのように自分の思想を保ち続けるのか、という質問に対して、“そんなものは何とも思っていない。そういう人たちが考えている以上のものをつくる自信が自分にはあるから、結果を見せて納得させる(というか黙らせる)ようにしている。自分が正しいと考えることをやればいい”と言われていました。僕なんかは、さすがと思う一方、それもどうかなとも思うのですが、それくらい自信をもって言えるように勉強しろよ、というメッセージと受け取りました。
蛇足ですが、人前で話す場面が多いと思うので話上手を期待していたのですが、ときどき発声が小さく明瞭でなく、聞き取りづらいところがありました^^;
著書の「FLUX STRUCTURE」は(いちおう)読んだのですが、「構造設計の詩法」というのは知らなかったので、興味も持ちましたし、amazonでポチッとやってしまいました。
満田衛資さんの師という観点でみて、いろいろと勝手に想像しました。その点は、また改めて師弟というものについて書ければなとおもっています。
最後に、上で書いたことは、講演のときの僕の記憶とメモに頼っていますので、間違いがあり、ご指摘いただければ修正したいと思っています。あしからず。