『誰も戦争を教えてくれなかった』(講談社/古市憲寿)を読む。
僕たちは
ずいぶんと良くも悪くも偏向的に戦争について教えられてきたのではないか、
ということを再考させてくれる本。
「戦争、ダメ、絶対!」、でもそれだけでいいの?
平和ボケは肯定してはいけないものなの?
「戦争には楽しさもあった?おまえ馬鹿か!言語道断!」なの?
いい本でした。
古市さんは1985年生まれ。
僕は1983年生まれ。
若者(最近、僕はおっさんを自覚しはじめたけど…)にとっての
過去の、現在の、未来の戦争、平和。
特に僕と同い年くらいの親や小中学校の先生に読んでほしいな、と思った。
* * *
僕たちは「戦争、ダメ、絶対」(P44他)と教えられてきた。
で、このときの戦争とは特には第二次世界大戦を指している。
つまり、僕たちにとっての戦争とはほとんど専ら約70年前の第二次世界大戦を意味している。
何を当たり前のことを?
と思われるかもしれないけど、
僕たちがそう思うとき、無意識に、何となく、
現代の現実とは異なった(時代遅れな)思い込みをしているところがままある、
ということをこの本が教えてくれる。
たとえば僕たちは戦後70年は平和な時代が続いてきたかのような印象をもっている(P86~)。
けど、メディアで知らされるように、
その間にも世界では多くの戦争や紛争が起こってきた。
それらで何百万人の人が亡くなっている
(たとえばコンゴで起きた紛争の犠牲者は
1998年から2008年で540万人と見積もられているよう(P86))。
今もエジプトでのニュースが報道されていた。
たしかに、あのような戦争はこの約70年間で起こっていない。
けど、そうでない戦争は数多く起こっている。現実に。
古市さんはあの戦争に対してこれらを「小さな戦争」と呼ぶ。
- ゲリラ、テロリストが暗躍する「小さな戦争」では、
- 防衛の担い手も国家による正規軍から株式会社による安全保障ビジネスに移行しつつある。
- もはや世界の戦争は「第二次世界大戦」モデルなんかでは動いていないのだ。
(中略)
- ということは、「国家が戦争を記憶する」「国家が戦争の悲惨さを訴える」ということ自体、
- もしかしたら現代の「小さな戦争」に対する想像力を奪うことに繋がるのかもしれない。
- 「戦争」といえば第二次世界大戦」という「古い戦争」ばかりが想起されるようになり、
- 今まさに世界中で起こっている「小さな戦争」を、
- 「戦争」ではないと思わせてしまうからだ。
(P,86,87)
少し勉強していたり、自覚のある人ならそんなことは当たり前かもしれない。
でも、それとは無関係なところでのうのうと生活している僕にとっては、あまりにも図星のことだ。
ほんとうに僕たちはずいぶんと偏向的に戦争について教えられてきた。
「戦争、ダメ、絶対!」でずっと立ち止まっている。
「戦争」について語るとき、ほんとうに強い抑圧がかかっている。
いわゆる正しい語り方も、語る内容も、とても限定されている。窮屈といってもいいかもしれない。
つい今も、Twitter上で『永遠のゼロ』著者の百田尚樹さんが、
「おまえは特攻隊員に敬意を払うのか?馬鹿野郎!軍国主義賛美か!」といったような内容で、
批難されていた。
このブログのような一日10人くらいしか訪れないようなところでも、
あるいは内輪での話でさえ(内輪でそういうことはなかなか話さないけど)、
少しでも(たとえそれが無理筋や詭弁であっても)戦争肯定、軍国賛成につながるような発言は
躊躇われる。
語り口が猛烈にエクスキューズに満ち溢れ、内容はどんどん空疎になる。
今でもそうだ。
僕は(古市さんもそうだと思うのだけど)、しっかりと自分の意見をもって議論するべきだ、
と言っているわけではない。
- 僕たちは、戦争を知らない。
- そこから始めていくしかない。
- 背伸びして国防の意義を語るのでもなく、
- 安直な想像力を働かせて戦死者たちと自分を同一化するのでもなく、
- 戦争を自分に都合よく解釈し直すのでもない。
- 戦争を知らずに、平和な場所に生きてきた。
- そのことをまず、気負わずに肯定してあげればいい。
(P286,287)
そうだ、おっしゃる通り、というわけではない。
古市さんも“気負わずに肯定”ということばを使っている。
「戦争、ダメ、絶対!」で立ち止まらず、あの戦争に繋縛され過ぎるのではなく、
少しずつでもことを知って、そんなに窮屈にならずに自分で考えていこう、
というような気持ちにさせてくれる。
こういうこと(気分を醸成するきっかけをつくること)は大きな仕事だと思いますよ。
* * *
本書ではないけど、関連して古市さんが8/7のTwitterで書いていたことをメモ。
- 東さんとの対談、そしてダークツーリズムガイドでの気づきは、
- そんなはっきり責任の物語に回収しなくてもいいんじゃないかってこと。
- 加害者だろうと、被害者だろうと、一貫した物語(「大きな記憶」)を
- 紡ぎだそうとすると、こぼれ落ちてしまうものが大きすぎる。
大きな物語は必要だけど、それに拘泥しないほうがいい、と僕は読んだ。
* * *
冒頭でも書いたように古市さんは歳が僕と2つ違い。
『絶望の国の幸福な若者たち』は1年くらい前に買って、
半分くらい読んで他の本に移ってほったらかしてしまったけど
また読んでみようという気になってきた。
今回の本でもたまに見かけるテレビでも、
語り口やキャラの演じ方?が、
ひとつの若者像(それはある側面の僕でもある)を象徴しているように感じる。
がんばってください、と申し上げたい。
というと、申し上げられちゃったよ(P197)、と何だか苦笑されそうなので申し上げないけど。
古市さんが麻雀するなら、大事な場面ほどダマで和了る人っぽいな、と想像する。
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