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幸いにも明日から連休。
僕はいつでも休みの前には気持ちが高ぶる。
拘束されていない、自由だ、と思うのである。
そう思うと同時にしばしばこういう問いも浮かぶ。
なぜ自分はこんなにも休みを楽しみにするのか。
そんなの当たり前じゃないかと思われるかもしれないが(特に僕と同世代は)、そうでもない。
(おそらく)今年で83歳になる祖父は今も健全で、相変わらず勤労である。自発的勤労者といってよいと思う。
毎日せっせせっせと何かをしている。だいたいは畑仕事だ(どうみても僕より体力がある)。
祖父は自分でも口にするが、何かをしてなくてはいられないのだという。
その何かはゲートボールや喫茶店やテレビや散歩ではなく、何かしらの労働と思われるものである。
どうしてそんなにせっせせっせと自発的に労働に励むことができるのか。
もちろん性格もあるだろうけど、やはり生きてきた時代というものを意識してしまう。
祖父は戦後、この田舎で会社を立ち上げ、雇用を生み出し、地元に還元してきた。
せっせせっせとしてきたのだと思う。
週休二日制は1980年代頃からだという。今から約30年前。
父が働き始めた頃だろう。
そのころ父の職場は週休二日制でなかったと思うが、社会は着実にその方向へ歩を進めていったらしい。
- 近代化過程で、都市生活者は、生産者としての位置から、
- しだいに消費者としての役割を拡大していった。
- とくに週休二日制が導入された1980年代ごろからは、
- かれらの精神的な軸足は、
- どこでどのように働いて生計を立てるかということから、
- どこで、どうやって時間を消費するかというところに移っていったのである。
(「株式会社という病」平川克美(NTT出版))
都会に遅れをとりながら全国的に精神的移行とでもいうようなそんな動きがあったのだと思う。
だんだんと「平日のための休日」から「休日のための平日」へ移行していったとも言える。
そういうことを思うと、休日を心待ちにし、気持ちが高ぶるのはそう当たり前のことではないように感じる。
僕たちは促進された消費を生真面目に実行している。
だからどうってわけではない。
せっかくの連休なので満喫するつもりだけど、おもしろいなと思うのです。
今日は今まで持ち帰りの肉まんとシュウマイでしか利用してなかった551で初めて食事をした。
海鮮焼きそばと麻婆丼。バランスよくまとまっていておいしかったです。セトジマさん、ごちそうさまです。