↑写真はTOHO CINEMASのHPより。
麻生久美子さんのファンを自認しているので遅ればせながら行ってきました。
『ばしゃ馬さんとビッグマウス』
梅田のブルク7にて。
お客さんは(おそらく)関ジャニの安田さんをみにきているうら若い女の子が多かった
(終わった後「めっちゃかわいかった~」とおっしゃっていた。かわいいのか。。。)。
そんな中で一人で見にきている30歳の男。
彼女たちにとっての安田くんが僕にとっての麻生久美子さんだという意味で僕たちは同じなわけだ。
うれしいような、あるいは恥ずかしいような。
映画については作品の宣伝でも言われているように“夢”の映画という感じ。
脚本家の夢を追い続けて叶えられないまま、諦めきれずに34歳になった馬淵みち代(麻生久美子)。
『夢って叶えるのも難しいけど、諦めるのもこんなに難しいの(ぐすん)』
という台詞(ダイジェストにもあり)。
中島みゆきさんが『しあわせ』で歌っている。
- しあわせになる道には2つある
- 1つめは願いごと うまく叶うこと
- しあわせになる道には2つある
- もう1つは願いなんか捨ててしまうこと
- せんないね せんないね どちらもぜいたくね
どちらも難しくてそう簡単にできるなら苦労しないわ、と言っている。
ちなみに剛は『花菱にて』で、
- 夢を喰って生きてゆけた
と歌い、hideは『ever free』で、
- 夢って食べれるの?
と歌っている。
それはまあいい。
そう、諦めるのは難しい。
でも、今回の馬淵さん、それって夢を追っているんじゃなくて、追われているのでは?
すがっているともいう?
それが夢というものか?
それでいいなら別にいい。
気持ちを囚われて、焦がされて、悶えさせるのが夢であって、
だからこそものすごい力が出る、開花するということもある。
でも、僕たちの耳目に届けられる夢ってほとんどが
“死に物狂いの努力をがっとやって掴み取るもの!”という感じじゃないですか?
それもそうだけど、それだけじゃあ貧しいと思うよ。
夢は叶わないからこそ夢なのであって、
叶ったらそれはラッキーなわけだ、というのが僕の考え。
もうひとつ。
夢は忘れた頃に叶っている、というのも僕の考え。
だから忘れても思い出すのが大切で長いスパンを認める、ということ。
ごめんなさい、あともうひとつ。
あんまり大勢の人の力を借りなくてもいいことも夢に入れてあげること。
ラッキーでありつけるものならどうすればいいか?
単純には数打ちゃ当たるってこと(数を打つのも大変ではあるけど)。
一生懸命に数を打ち続けていると、最初の頃のことは忘れている。
そうすると、忘れたころに夢は叶っている。
不幸なことに多くの人が想った夢は忘れたままな気がする。
そして大勢の人が対象でなくてもいい。
たとえば全国放映される映画じゃなくても、自分たちで撮ればいい。
僕が6歳のとき、母のお腹にいた弟が大きくなったらキャッチボールしたいと思っていたことは、6年後くらいに叶った。
小学生の時にカーブやフォークを投げたいと思っていたことは中学生で叶った。
一人暮らししたいは大学生で叶った。
CDや本をお金を気にせず買いたいは働きはじめて叶った。
大人になったらおいしくお酒を飲みたいは21歳くらいで叶った。
高校生の頃に麻雀をはじめたとき、じょうちゃんたち(幼馴染の友だち)ともできたらなと思っていたのは7年越しくらいで叶った。
小さすぎる?
大きさにこだわるほうがいいことが少ないと思うのだけど。
そうだ、僕が好きになったときすでに解散していたMR.BIGが再結成した。
こんな夢も叶うこともある。自分ではどうしようもない。ラッキー以外何者でもない。
当面のところは、
自分で商売をするとか、
小説を書くとか、
麻生久美子さんに会うとか、
巨人の選手と知り合いになるとか、
ステージで演奏するとか、
いろいろとある。
それが年収1億円とか、
直木賞受賞とか、
テレビで麻生久美子さんと共演するとか、
Goingの亀梨くんみたいに巨人の選手と接するとか、
そういうのは夢としてはよくない(望んでもいない)。
人が多すぎると不確定要素が大きくなりすぎる。
結果、必要以上のラッキー頼みに陥りがちになる。
夢はでかくて悪いことはないけど、必ずしもでっかけりゃいいというものではない。
夢に対しては一心不乱でなくともよい。人生は長い。
途中で死んだらどうする?雨天コールドゲームで仕方がない。天気には勝てない。
だから僕は一年に数個くらいは夢が叶う。
昨日走った(歩いた)トレイルラン36kmだってそうだ。
“夢”というのなら、こういう夢を提示してもらったほうが楽しめたかな、という話。
まあ麻生久美子さんを見ているだけでいいとえいばいいのだけど。
しかし馬淵さんはひとつ間違いないことを言っている。
口ばっかりで全然手を動かさない天童(安田章大)くんに向かって激昂。
『書け!見せろ!それから言え!』
少なくとも頭の中だけではだめなわけで。