- 「最近で一番のキャッチャーいうたら、古田と違う?(中略)おれも彼を見ていて、いつも羨ましかったもんな」
- どこが羨ましかったのか、私は訊ねた。肩の強さか、老獪なインサイドワークか。村田の答えはどちらでもなかった。
- 「下半身の柔軟性です。下の柔らかさ。あのフニャフニャの下半身や。(略)」 (P.9)
そうなのか。知らなかった。素人の僕からみれば、メンタルな部分を除けばプロのキャッチャーの腕とはもっぱらリードだと思っていた。
しかし、村田真一いわく下半身の柔軟性もとても重要らしい。ワンバウンドを取るにも、盗塁を刺すのにセカンドへ投げるのも。
この本は「野村克也と古田敦也の陰に隠れて、いままであまり語られることのなかった捕手たちの本」(P.7)である。村田真一、デーブ大久保、達川光男、山中潔、谷繁元信、里崎智也が主に語られている。彼らがどのようにプロのキャッチャーになっていったのか。キャッチャーを、ピッチャーを、野球をどう思っているのか。それが本人の独白記のようなものではなく、ライターである著者とのインタビューを通して書かれているため、本人たちがただ語るだけでは出てこないようなキャッチャーについての話が出てきている。
中学の部活までと、その後は草野球でしかキャッチャーをやっていない僕のレベルでは、下半身の柔らかさが大切だと感じたことがない。草野球でワンバウンドを止めるのも(止めるだけなら)それほど難しくない。しかし、プロのレベルになると話はだいぶ違うようだ(当たり前だが)。達川いわく、達川だけでなく当時同じ広島の捕手だった水沼や道原も取りあぐねていたのが、大野豊のフォークらしい(余談だが大野豊というと、やはり引退セレモニーで『我が選んだ道に悔いはなし!』と声高らかに言い放ったのが印象深い)。同じように、佐々木のフォークも谷繁は最初取りあぐねたそうだ。
僕は巨人ファンだから、村田や大久保のところは余計に注目して読んでしまうのだが、達川の話もやはりおもしろい。北別府についてのエピソードで、球審にボールと判定された北別府が不満そうにしているので、あわてて達川がマウンドに行った。『ボール半分外れとったんじゃ』というと北別府は『何?半分も外れとったんか』と言ったらしい。それ以後達川は、北別府に対しては『ボール4分の1』ということばを使うようにしたようだ。荒れ球が持ち味の川口に対しては『川口はのう、投げ終わって、試合に勝っとったらナイスピッチングじゃ』と評していたらしい。
村田については、1999年、横浜・斎藤隆から受けたあの死球を今も僕は鮮明に覚えている。ヘルメットと一体の変わったマスクをつけて復帰してきたのも印象的だった。本書に書かれている死球を受けた後の手術時を思い返す村田の話は、読んでいるだけで痛い。そして、やはり僕は村田を特に好きだ。
西武では散々『痩せろ、痩せろ』といわれていたデーブ大久保が、巨人に移籍したばかりのころ、藤田監督に『太っていることなんか気にするな。もっと食え』と言われた話。これはデーブ大久保の著書『デーブ大久保の一発逆転』にも書いてあった気がする。よほど嬉しかったのか。
本書や漫画「ラストイニング」を読んでいると、いっそうキャッチャーというものが興味深く思えてくる。僕はまったく信じていない血液型による性格云々よりも、キャッチャーをやっていたかどうかのほうが(対象は圧倒的に狭いが)、その人の性格をよく表せるに違いない。キャッチャーはつねにホストなのである。というよりは、ホストであることを求められる。
そう、だから僕の主体性がまったく顕然でないのは、キャッチャーをやっていたことによるのだ。
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