連休初日の4月29日、朝の新大阪駅は混雑していて、ホームにはカメラをもったテレビ局のクルーのが散見された。新幹線に乗ろうと列に並んでいる僕の前をカメラマンが割って入って無遠慮に通り過ぎた。一瞬、不愉快だったが、直後に記者がすみませんのポーズをとって通り過ぎたので忘れた。のぞみに乗り込むと、デッキから座席車両の中へ移動できないほどの混雑ぶりだった。僕の目の前には、小さい子供を二人連れた若い母親が立っていて、一人を抱きかかえて立っていた。僕は長崎へ向かった。
その車内で「内藤廣と若者たち-人生をめぐる十八の対話-」(東京大学景観研究室編)を読んだ。これは震災前に買ったものだが、地震でなかなかこれを読む気分になれなかったのだ。この本は題名が示すとおり、内藤さんと若者(学生)たちの建築ではなく人生についての対話を編んだものである。
僕は常日頃から“建築家”ということば、もしくはその存在をかなり疑わしく思っている。もしもその存在を仮定するなら、これは十分に社会制度に依存して存在し、十分に政治性を帯びたものである。それなのに、一般の人にとって(しばしば建築に携わる人たちにとっても)言動は難渋である。なぜ“設計者”ではだめなのか。要はとても気取ってみえるわけだ。どうせ気取るなら、いっそ名刺に“大先生”と書いてしてしまえばいい、と乱暴なことさえ思う。どうせ現場に入ったら「先生!」と呼ばれたりするのだし。内藤さんは本書でこう言っている。
『ぼくは、建築家が建物をつくる、という考えかたがすごくせまいと思っているんだ。(中略)いまは単に、建物を設計する建築家という職業が、建築という言葉をまちがって独占しているにすぎない』(P.170)
首肯する。長渕剛が音楽家を名乗るのに疑いはない。詞を書き、曲を書き、演奏し、歌って、追究しているのだから。同じ理由で岡本太朗が芸術家と呼ばれるのに疑いはない(本人は職業は人間だとか言っていたらしいが)。政治家がいてもいい。政治は大層なものだし、政治判断は権者である政治家しかできない(ことになっている)。
でも建物が出来上がり建ち続けるには、利用者(政治における有権者といえばよいかもしれない)以外のさまざまな人の尽力が必要である。政治は政治判断することかもしれないが、建物は判断したって建たない。設計があり、手続きがあり、工事があり、維持管理があり、修繕、解体もある。それなのに、建築家!どーん!という印象を僕に与えてしまうから、疑わしく思えるのだ。建築家、“建築”という語において、独占禁止法に抵触!という冗談ができてしまう。
だからといって内藤さんは現在、建築家と呼ばれている(あるいは自称している)人たちが不要だと言っているわけではない。
『広い知識や人間に対する洞察力を持った、プロジェクトをスーパーナイズする、あるいはオーガナイズする人は、どうしても必要だと思うよ。ただ、かならずしもそれが建築家という名称である必要はない。』(P.170)
そういう意味では、“建設専門政治家”でもよいかもしれない。
余談だが、僕が以前在職した桑名市で内藤廣設計事務所に設計してもらった城東地区複合施設「はまぐりプラザ」という建物がある。内藤さん自身もこの件で何度か桑名市役所を訪れたようだ。担当課である営繕課の先輩や上司たちは、内藤さんを知らなかった。ある先輩の談は「市営住宅について問い合わせに来たのかと思った」である。先輩や上司たちの中には“建築家”なんて言葉はないのかもしれない。それはそれで健康的だ。僕は所内では一度ちらっと見かけただけだったが、有名人視線で見てしまった。
当然ながら、“建築家”をめぐる言葉以外にも、ともすれば堕していく僕の鉄腸をまた叩いてくれる内藤さんのことば(というより対話か)がたくさんあって、なかなかに思い出深い本になった。
巻末に文字おこし、脚注データ、造本・デザインなどをした各人の名前が記載されていたり、造本データがあるのもよかった。
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