プラハ城の敷地を西側の正門から出て、フラチャニ広場へ出ました。たくさんの観光客で賑わっており、門の前で見張りをする衛兵(彼らは常時、微動だにしません!)と写真をとる人もいました。広場で東へ折り返して歩を進め、カレル橋(上の写真)を目指しました。
カレル橋(西詰)の手前でカフェ(?)に入りました(入ったというか、外に並べてあるテーブル席に座ったのですが)。すぐにウエイターが注文を取りにきてくれて、ここでプラハに来てはじめてのビールを頼みました。パスタも注文しました。弟はトイレに行きたかったらしく、注文が終わるとすっと店内に入り用を足してきました。はっきりいって僕はそんなにすっとはできません。ことばがわからないのに何か詰問されたらどうするのか。狼狽必至に決まっています。そう思うと、少々の尿意は我慢したほうが楽なのです。
ビールを飲んでみると、日本の喉越し重視のビールとは違い、わりとソフトというかまろやかというかそういう喉ざわり(喉越しではなく)のビールでした。それもあってか少々ぬるくなってもおいしいです。ガイドブックによるとチェコ人は“まるでコーヒでも飲みながら語り合っているような雰囲気”でビールを飲むそうですが、たしかにこういうビールがとても身近にあるならそういう飲み方も頷けるような気がします。時刻は17時前だったと思います。「少し寒くなってきたな」といいあって、ビールを飲んでパスタを食べ終えると(間違っている気がしますが)「Finished」といって支払いを済ませ席を立ちました。すぐ目の前にはマラー・ストラナ橋塔が見え、そこを過ぎるとカレル橋です。
カレル橋(Karluv most)はヴルタヴァ(Vltava)川に架かるもっとも古い橋で、完成は1402年だそうです。(当然ですが)この橋によってそれまでヴルタヴァ川で分断されていた右岸の市街と左岸にあるプラハ城の行き来が容易になりました。
また、田中充子著『プラハを歩く』によると“橋は全長515.7m、幅9.5m。15のアーチの上に、砂岩の切石の橋桁がわたされている。若干27歳の建築家ペトル・パルレーシュが生涯をかけた仕事で”あり“この橋の魅力は、勾欄の上に並ぶ30体のバロックの石像彫刻”です。たしかに橋の両側に彫刻が並んで鎮座している橋ははじめてです。石像の中で日本人に馴染みが深いのはフランシスコ・ザビエルでしょうか。弟が「てっぺんにも髪の毛がある!」というと近くにいた日本人観光客が同意の微笑みをみせたそうです。
カレル橋を渡り終えて東詰にある旧市街橋塔を抜け、弟がハヴェル市場をみたいというので次はそこを目指しました。カレル橋東詰からは南東方向になります。このハヴェル市場ではやや広めの通りに野菜や果物や雑貨などを売っている数々の露店が並んでいました。特に何か買ったわけではないのですが「これは何や」とか「これは安いな」とか言いながら見物しました。
ハヴェル市場を見物し終わったくらいで仕事を終えた従兄弟から電話がかかってきました。僕のソフトバンク3G携帯電話は特に何もしなくても日本と海外の電話はもちろん、海外でもふつうに使用可能でした。便利な世の中です。
「今、仕事終わったけど、無事にホテルに着いた?」
「うん。ホテルには何とか無事に着いて今観光しとる」
「おお!そうか!どこにおる?」
「なんていえばええのか分からんけど、ハヴェル市場とかいうとこらへんにおる」
「旧市街広場の近く?」
「うーん、分からん」 (今思えば近くだったのですが)
「まあええや。そうか、そうか。地下鉄使って行ったんやね」
「いや、ホテルからプラハ城とかカレル橋を見ながら歩いてきたで」
「ええっ!ほんとに?そりゃすごいな・・・」
たぶん合計でも10km歩いてないくらいだと思いますが、ホテルから歩いてきていることにこちらが驚くくらいに驚かれました。従兄弟の兄ちゃんの会社はプラハからだいぶ北西に進んだほとんどドイツとの国境に近いところにあり、そこから車でプラハに戻ってくるところだそうです(これは後で知ったのですが)。
夕食を一緒に食べることになり、19時過ぎにホテルからほど近いディッヴィツカー(Dejvicka')駅くらいで待ち合わせることにしました。何が食べたいかと訊かれましたが、(連れてってもらうし)何でもいい、と答えると「チェコ料理か・・・」とチェコ料理に逡巡を見せた後「イタリアンでもええ?」と訊かれたので「ええよ」ということで決定し、電話を切りました。
やっと従兄弟の兄ちゃんと連絡が取れたし、今日の夕食も決まったということで少し疲れた身体もいくらか楽になった気がして、僕たちはまたゆっくりとディヴィツカー駅の方向へ向かって歩き始めました。
真っすぐに行くと早く着きすぎてしまうので、適当にふらふらと歩いていると少し迷ったような雰囲気が漂いました。途中、小さな公園をみつけてそこのベンチに座り、小さな滑り台で遊ぶ小学校低学年くらいの子供たち数人がはしゃぎにはしゃいでいるのを弟と眺めていました。一人の男の子の傲慢な(?)はしゃぎっぷりが面白く、それを二人で茶化して楽しみました。
もうすぐ19時だというのに9月下旬のプラハの空は、夕暮れが近いことをにおわせながらもまだ青いままでした。肌寒さは、空よりもやや先行しています。
「迷ったのか?」
「迷ってはおらん!」
と断固として迷ったことを認めずに思う方向に歩いていると、19時前にディヴィツカー駅のラウンドアバウト(下の写真)にたどり着き、ベンチに座って従兄弟の兄ちゃんを待つことにしました。
兄ちゃんと会うのはいつぶりだろうか。短くても5年ぶり以上です。小さい頃は毎年お盆や正月などに顔を合わせて、ときにはうちに泊まったこともありました。よく覚えていませんが、たぶんそのときはガキに特有の恐ろしいほどの体力でファミコンに熱中していたような気がします。おかしな話ですが、(特に大人になってから)あまりに会ってないので32歳の兄ちゃんの顔が想像つきませんでした。見たら確実に分かるし、どうせ変わってないだろうと半ば確信しているのに、想像しづらいのです。いや、もしかしたら外国でバリバリ働いているのだから国外の風を受けすぎて、顔は変わらなくても雰囲気が変わりすぎていて分からないかもしれない。そもそも向こうは僕のことが分かるのだろうか。だいたい僕に数年ぶりに会った人は、痩せたと言います。
駅の近くまで来た兄ちゃんと「今どの辺?」、「この辺」という電話を何度か繰り返した後、道路の向こう側から手をふってやってくる兄ちゃんの姿が見えました。白いワイシャツにスラックス、足元はナイキのスニーカー(こっちではそういうのはふつうなのか、兄ちゃんが気にしないだけなのか)。見た瞬間に分かりました。僕はじいちゃん似だといわれますが、たぶん兄ちゃんもそうです。人のよさそうな、鋭さとは無縁の顔です。なにしろ兄ちゃんの昔の数々のエピソードは、端的に言ってドジなエピソードばかりなのです。
「おお!」
とは言ったものの、最初どんなことばを交わしたのか覚えていません。久しぶり、とか言ったかも分かりません。言ってないような気がします。
兄ちゃんがやってきたのは結局、19時半くらいでした。車は近くに置いてきたそうです。
僕と弟は兄ちゃんの後ろをついて歩いて、イタリアンレストランに向かいました。
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