これを読んでもらいたい。
僕はクリスマスになるとこの部分を読まずにはいられない。
森見登美彦『太陽の塔』(新潮文庫)の144頁からの部分だ。
京都の大学に通う飾磨(しかま)というもてない学生が友人の前で演説をしている。
- 諸君。先日、元田中でじつに不幸な出来事があった。
- 平和なコンビニに白昼堂々クリスマスケーキが押し入り、
- 共にクリスマスケーキを分け合う相手とていない、
- 清く正しく生きる学生たちが心に深い傷を負ったのである。
- このような暴虐を看過することができようか。
- 否、断じて否である。
- 昨今、世の中にはクリスマスという悪霊がはびこっている。
- 日本人がクリスマスを祝うという不条理には、この際目をつぶろう。
- 子供たちに夢を与えるのも結構だ、
- たとえそれがケルトの信仰を起源とする
- 正体不明のジジイが叶える「物欲」という夢であっても。
- しかし昨今の、クリスマスと恋愛礼賛主義の悪しき習合まで、
- 許してやる筋合いはない。
- 高らかに幸せを謳歌することが、どれだけ暴力的なことであるか。
- 京都の冬を一段と冷たくし、多くの人間に無意味な苦しみを与える、
- この厚顔無恥の大騒ぎ。
- 日本人はもう一度、節度を取り戻さなけれなならぬ。
(中略)
- クリスマスイブこそ、恋人たちが乱れ狂い、
- 電飾を求めて列島を驀進(ばくしん)し、無数の罪なき鳥が絞め殺され、
- 簡易愛の巣に夜通し立てこもる不純な二人組が大量発生、
- 莫大なエネルギーが無駄な幻想に費やされて
- 環境破壊が一段と加速する悪夢の一日と言えるだろう。
拍手喝采。立派な演説だ。
この主張に伏流する思想に基づいたクリスマスの過ごし方こそ、
クリスマスの正しい楽しみ方だと思ってしまう。
メリークリスマス。
- 飾磨、かく語りき。
- 『ここに緑の牧場があると思ってくれくれ。
- ぐるりと柵で囲った中にたくさんの羊がいる。
- 何も考えずにのうのうと草を食べてはごろごろして、それで結構幸せなやつもいる。
- 俺は本当に羊なのだろうか羊ではないのではないか
- 羊ではない自分とは何者なのかと不安になって呆然としているやつもいる。
- 柵の外へちょっと足を出して
- 「俺さあ、実は外へ出たことがあるんだぜ」
- と得意になって吹聴しているやつもいる。
- それを感心して聞いてるやつらもいる。
- 柵の外へ出たまま、どこかへ行ってしまったやつもいる。
- そのたくさんの羊たちの中に、一人でぽつんと立っているやつがいる。
- そいつは自分が羊であることが分かっているし、
- じつは恐がりだから柵の外へ出ようとは思わないし、
- かといって自分が幸せだとも思ってない。
- ぱっと見るだけなら、
- そいつは他の羊とあまり変わらないように見えるだろう。
- でもよく観察してみると、
- そいつはただひたすら黙々と、すごく凝った形のうんこをしているのだ。
- たしかにそれはただのうんこだ。
- でもひどく凝った形だ。
- とは言え、やっぱりただのうんこだ。
- そして、その羊が、俺だ。』
同書78頁より。
そして、そのうんこを評して「素晴らしい!」と感銘を受けているのが僕だ。
クリスマスっていいですね。