走り終わったあと、一緒に大会に参加した楠田くんが、
「これはいかついっす」と青息吐息でつぶやいた。
なるほど。いかつい。たしかに厳つい。
この表現は気に入った。
今日はついに加古川マラソンの日でした。
昨年、人生初のハーフマラソンに挑戦し、
一応ゴールはしたものの残り5kmで挫折し、小さからぬ敗北感を味わった。
僕は負けず嫌いな人間ではないと自覚しているけど、
自分がハーフマラソンを走り切ることができなかったと認めることは嫌だった。
認めるのが嫌でも、当時は走り切っていないのだから、認めざるを得ない。
体調管理を間違えなければ、
ペース配分を間違えなければ、走り切れた。
たしかにそうかもしれない。いや、たぶんそうだろう。
僕は当時練習でも20kmを走り切っていたのだから。
しかし現実として本番で走り切っていないのだから、
やればできた(できる)という宣言は何も意味をもたない。
現実は論理や確率で担保されるわけではない。
現実(ここでは=事実)はいつも現実によってのみ担保される。
僕はそう思っている。
今回の(もちろん人生初の)フルマラソン挑戦は、
去年の敗北感を晴らすための、
すなわち僕はハーフマラソンを走り切ることができる人間であるということを証明するための、挑戦だった。
走ってみると、たしかにフルマラソンはいかつかった。
35km過ぎからは速めに走るより遅めの方が、さらに歩く方が辛かった。
歩くのが辛いから走るしかない。早くゴールしたい一心で走った。
この辺りの1kmはいつもの3km程度に感じられた。
おまえは何なのだ。
僕が身につけてきた常識や折衝を門前払いするいかつい野郎こそがフルマラソンなのか。
しかし3ヶ月前からの訓練の甲斐あって、何とか完走することができた。
タイムは3時間53分。4時間半を切ればよしと思っていたので上出来だ。
走り終わった後、今にもつりそうな脚をひきずって倒れ込み、
完走したときにもらった大きめのタオルと腕で頭を抱え込んだ。
そうすると何だか感傷的な気分になり、泣きそうになった。
同僚で一緒に参加した楠田くんや安養寺くんがゴールしてきたときに
これでは自分の沽券に関わると思い、おセンチに浸るのは止めにした。
しばらくして楠田くんが、次に安養寺くんがゴールしてきた。
楠田くんはジムに通ってはいたけれど、走る訓練はそんなにしていなかった
(おまけにお腹もそんなには絞れていない。失礼ながら)。
その割りに(とはまた失礼だけど)速くて驚かされた。さすがだ。
安養寺くんは、仕事が忙しくて前日に帰宅したのは27時くらいだったらしい。
僕たちにとってフルマラソンは遊びなんだから、
別に不参加にしてもいいのだけど、睡眠不足の身体でやってきて走り切った。
僕はこういうアティテュードが好きなので、さすがだと思った。
さすがだ、と思える人たちと一緒に参加できてうれしい。
みなさん、ありがとうございました。
帰宅してから銭湯へ行って体重を計ったら、65.9kgだった。
こんな数字は10年は見たことがない。
3ヶ月前は72kgだった。何だか儲けた気分になった。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。