日本には、国家規模の不文律がある。
不文律といえば、触れてはいけない事についてがほとんどだが、
この国家規模の不文律は触れなければならない事に対してのものである。
触れなければならないものとは、ご明察、お察しの通りクリスマスである。
この不文律を国家規模たらしめているのは、テレビ業界と経団連のおじさんたちである。
彼らは狡猾だ。
付和雷同がアイデンティティであるという
アイデンティティがあるのだかないのだか分からない我々日本人の心情を
実にうまく操作している。
周りが騒げば自分も騒がなければならないような、
周りが浮かれれば浮かれなければならないような、
誤用的滅私奉公ともいえる振る舞いをしてしまうのが我々なのだ。
愛を育む者も、愛を妬む者も、見て見ぬふりをする者も、
その言動が陰か陽かの違いだけで、
我々は実に律儀にこの国家規模の不文律を遵守している。
もちろん中にはごく稀に、この不文律を破ることができる猛者がいる。
僕はそのような猛者に憧れる。
だが、僕はまだまだ未熟で惰弱な若輩者である。そして、一社会人でもある。
なので、コンプライアンス違反はしないし、できない。
僕はこれに対する遵守を陰に言動にするタイプなので、
今日は一人で「ノルウェイの森」のレイトショーを見に行って、
そこら中にはびこる愛を育む二人組に優越感を与えてやろうという
誤用的滅私奉公を実行しようと、映画館へ向かった。
しかし、如何せん空腹であった。無視出来ぬ空腹である。
腹が減っては戦ができぬ。戦が出来ねば奉公も出来ぬ。
よってこの計画は断念し、大人しく家路につくことにした。
家路についたはいいが、そこには多数の障害があった。
大阪市役所前の電飾に群がる浮かれ群衆たちは僕にさりげない無数のタックルをかましてきた。
サッカー選手なら彼らはずる賢いを含意したクレバーだと言われるだろう。
歩道では手と手をつなぎ合い壁としての役目を強固にしてまで家路を阻止する無数の二人組がいた。
ここはやむを得ず武力行使に出た。
質量×速度の運動量では自転車に乗っているこちらが勝っていることを明示して道を開けさせたのだった。
そんな幾多の障害を乗り越えて喧騒を離れると、僕の前にはひとつの希望が現れた。
少しなで肩で、背広の上には特徴のない黒のコートを羽織い、
とぼとぼと歩くサラリーマン風の男。
彼が手にさげているスーパーの袋にはカップ麺とビールが見えた。
彼の精神までは測りかねるが、外見は間違いなく猛者である。彼こそが希望だ。
希望には出会えたが、僕は僕である。
僕の精神はまだそのような高水準に達してはいない。
僕はスーパーでフライドチキンを2つ買い、コンプライアンスを果たし帰宅した。
帰宅してからフライドチキンとその他粗食で腹を満たしたら、
最近読み始めて名著の輝きを絶え間なく僕に放ってくるトクヴィル著、松本礼二訳の「アメリカのデモクラシー」を読もうとした。
だが、ここでも真面目さが取り柄の僕はクリスマスに触れずにはいられなかった。
たしか去年読んだ森見登美彦「太陽の塔」(新潮文庫)にある
クリスマスに対する陰な発言として最高形ともいえるその言葉を読み返し、
これをこの記事を読む人たちだけにでも周知するのが、
この国家規模の不文律を遵守する僕に出来る社会貢献だと思い立った。
少々長いが、これを引いて僕のクリスマスの結びにしたい。
これは物語中に登場する大学生の飾磨(シカマ)の演説である。
P144~
- 昨今、世の中にはクリスマスという悪霊がはびこっている。
- 日本人がクリスマスを祝うという不条理には、この際目をつぶろう。
- 子供たちに夢を与えるのも結構だ、
- たとえそれがケルトの信仰を起源とする
- 正体不明の白髪ジジイが叶える「物欲」という夢であっても。
- しかし昨今の、クリスマスと恋愛礼賛主義の悪しき習合まで、
- 許してやる筋合いはない。
- 高らかに幸せを謳歌することが、どれだけ暴力的なことであるか。
- (中略)冬を一段と冷たくし、
- 多くの人間に無意味な苦しみを与える、この厚顔無恥の大騒ぎ。
- 日本人はもう一度、節度を取り戻さねばならぬ。
- (中略)たしかに彼らはたくさんのサンプルを目の前に並べ、
- 諸君に「幸せ」を提示して見せるだろう。
- クリスマスを共に過ごす異性がいるということ、
- それをさも学生の本分であるかのように声高に説くだろう。
- 黙れ、黙れ。学生の本分は学問である。
- あたかも我々に幸せのありかを教えて上げると言わんばかりの大合唱、
- 実に傲慢極まりない。
- (中略)
- クリスマスイブこそ、
- 恋人たちが乱れ狂い、
- 電飾を求めて列島を驀進(バクシン)し、
- 無数の罪なき鳥が絞め殺され、
- 簡易愛の巣に夜通し立てこもる不純な二人組が大量発生、
- 莫大なエネルギーが無駄な幻想に費やされて
- 環境破壊が一段と加速する悪夢の一日と言えるだろう。
これを最高形と言わずして何が最高形だろうか。
しかし、太宰治が言っている。
元気で行かう。
絶望するな。
では、失敬。
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