年賀状を出しに外へ出たら、細やかな雪がちらついていた。
札幌で大学の4年間を過ごして以来、
雪はほとんど一義的に札幌、すなわち学生時代を象徴し、想起させる。
街がほぼ寝静まっている日曜の24時。
ビルや車や人、それらが出す光や音といった街に溢れる記号たちは、
それら個々としての働きを止め、全体で夜を表しているように見える。
すると雪がちらつく大阪の街が、
札幌の街と同じ雪という記号もった同類項になり、札幌の街に見えてくる。
ここでは頬を刺すような寒さも排斥の対象ではなく、
環境としての共存の対象になる。
そんなこと思ったって、
ここは大阪だし寒いものは寒いに違いないのだけど。思った。
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