麻雀、テレビ、飲食、ゴルフ、買い物にせっせせっせと時間を食わせた年末年始の休日。休み前には毎年この本とあの本を読むぞと意気込むのだけど、その意気込みは毎年意気込みのまま霧散する。でも僕は真面目だから、ただ怠惰な日々を送るだけではない。努めて怠ける。怠けるのも勉強だ。いや、それは屁理屈。まあよろしい。そうやって家族や友人、知人と時間を蕩尽するのが正月というものなのだろう。
大晦日には風邪をひいて一日寝込んだ。風邪をひくと健康の有難さが浮かび上がってくる。同じように、あくせくする正月がきたらこんな正月を有難く思うのだろう。僕はどうせそういうやつである。
12月30日に、注文していた本が届いた。「ねもは01 絶版★建築ブックガイド40」というものだ。この本は大学時代からの友人である長田くん
( http://tatsuroosada.typepad.jp/view/ )
から教えてもらったもので、その概要は「80年代生まれ27人による、“現在では入手困難でありながらそれでもなお現在に建築を考える上で有用となるだろう建築系絶版本40冊の見取り図。”」(長田くんのブログより引用)である。そして長田くん自身も、その27人のうちの一人となっている。だから買ってみた。
僕も80年代生まれだ。同年代が真面目に書いた文章を読むのは楽しい。今は紹介されている40冊のうち、12冊分だけ読んだ。現時点でのおおざっぱな印象を以下に記す。
僕は本書の著者である皆さんより、建築史などを不勉強であり、建築に対する考え方というか志向も異なる(当然ながら27人それぞれが異なるが、それ以上に異なる。なぜならここに書かれているような意味内容の(あるいは分野の)文を僕は書くことができないので)。
だから、文脈や語彙が含意するところを最低限すら読み取れない箇所もあり、よって何を言っているのだかよく分からない箇所もある。
これは僕のような者(このような本を買って読もうという程度に興味はあるが、この本の著述内容自体を堪能できるほどの素養はない者、ついでに意匠ではなく構造の者)は読者として想定されていないということだ。
しかし、僕にとってそれはある意味ほとんど問題にはならない。僕はこの本をそのまま(書評集として)読む以外にも、書き手である同年代の皆さんを想像しながら読む(読んでしまう)という愉しみがあるからだ。それぞれの著者たちのエクリチュールを何となく感じながら、著者の人となりを想像して読む。それぞれの著者が、読者からどう見られたいか、あるいは著者自身がどのように志向しているかを想像しながら読む。
僕はどんな本を読むときにもそうやって読んでいるけども、これほど近しい(同年代で建築を勉強し、志しているという意味で)人たちの本というのはそうそうない。というか初めてだ。ブログでもないし、論文でもない。学校で書かされた文の寄せ集めでもない。まさに有志による(おそらくは)気合の入った真面目な文である。
なのでざっくばらんに感想をいえば、(お前ごときがどんな目線でものを言うかと怒られそうだが、)総じて(といってもまだ3分の1も読んでないけど)気合が入っていてよろしいと思う。でも、入りすぎか入れ方を少々間違えたのかなと思う部分もある。
若いときに書いた自分の真面目な文を見ると、若かったなと苦笑してしまうと内藤廣さんがどこかで書いていたが、ここに書かれているのはたぶんそういう文であり、たしか原広司さんだったと思うが、紆余曲折あるけども振り返れば結局は卒業設計がある意味での原点だった、というような文でもある気がする(それは言い過ぎかもしれんが)。
ところで、書評集としての正統的な読み方をしたときにどうかということをいうならば、やはりその入りすぎた気合が問題にはなる。
この本が書評集としてはどういう狙いで刊行されたのか分からないけど、現在では入手困難な本を掘り起こし、改めて評し、建築を考える契機とする意図がないということはないだろう。
入手困難なので「あとは実際に入手して読んでみてね」ということを強く促しているわけではない。
そうなると、程度の違いこそあれ言葉や思索に飢えているような、こんな劇薬のような本があると紹介されたらすぐに読みたくて居ても立ってもいられないような者(僕もそのような者の一人なのだけど)たちは、やや残念な気分を味わうことになる。そそらせるだけそそらせるけど、堪能はさせないということになってしまい、彼らは悶々としてしまう。なんだよ、やらしいな、という気分だって生じないとは限らない。
それなら、本書の中で入手困難な本を紹介すれば―現在では入手困難でありながら、それでもなお現在に建築を考える上で有用となるように―良いのだが、それには一冊の本を紹介する文字数が少ないか、あるいはその本に対する書評の内容が偏り過ぎてはいないだろうか。ほんとうは、文字数がこのままだろうがもう少し少なかろうが、書評内容が少々偏っていようが、それ自体が直接的に問題ではないのだろうけど、やはりそこに気合の入りすぎが空回って出てしまった気がする。
僕にとっては、その辺りがもう少し解消されているとなお良かった(でもあまり解消されすぎていると、同年代なのにあまりの洗練さを感じて遠く感じてしまい落胆してしまうかもしれないので、これもいい)。
12冊の書評を読み終えた時点では、『現代建築愚作論』と『造形と構造と 山本学直治建築論集2』と『建築心理学序説』を読んでみたいと思いました。
またきちんと読んで整理できたら、改めて書きたいと思います。
少なくとも、僕のような者にそう思わせてくれる(触発してくれる)だけのものをいただいたので、執筆者の皆さんや編者の皆さんには(直接的には長田くんに)感謝したいです。
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興味がある方なら、買う価値はもちろんあり。
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