会社に仕事初めがあるように、消防には出初式というのがある。
消防団員の皆さん、去年は日々の活動(といっても日々活動していないが)ありがとうございました、今年もどうぞ地域の安全・安心のためにひとつよろしくお願いします、というのを市長や消防署長などの長の方々が消防団員に伝えるのが出初式である(と思っている)。
日曜日、消防団員として初めてそれに出席してきた。
場所は三重県桑名市長島町にある輪中ドームという屋根はあるが横は吹き抜けで半屋外の中途半端な面積を有した国の施設である。
朝9時半、寒風吹きすさぶというわけではないが冬なのでそれなりに寒い中、略帽に制服という知らない人から見たら駅員さんと見間違うような格好の男たち(と少数の女性)500人超と、市長や市議会議員、県議会議員、消防所長、警察署長、県知事代理などのお偉いさんが集った。
式における僕たち消防団員の役目はアリーナに整列して突っ立ち、舞台上の方々の挨拶(告辞、訓示、祝辞)や長く消防団員を勤めた方々が表彰されるのを眺めることである。
挨拶をした壇上の方々は眼下に置いた原稿を見ながら、「日ごろの消防団の方々の活動に心より御礼申し上げます」と口々に言った。
下を見ながら―正確には読みながら―「心より」と言われても(それは空っぽだよな、それにしてもああ寒い)と思いながら眺めていた。
周りの人たちは何を考えているのだろう。
これはあの頃と同じだ。
小学校や中学校のときの、始業式や終業式で校長以下先生方と生徒たちの構図と全く一緒である。
子供のときもつまらなかったが、それは20年経っても変わらないのがおもしろい。
変わっていることといえば、小学生のときはこういうときにファミコンや野球やご飯のことを考えていたのが、今はなぜこのような式が行われているのだろうか(それも全国で)と考えるようになったくらいだ。
なぜ行われているのか。
こんなことは意味がない、理由もない。
お金だって無駄だ。やめた方がよい。
別にそういうことを言いたいわけではない。
わりと純粋かつ素朴になぜだろうと思うのだ。
ここには名目がある、慣習がある、場所がある、時間がある、お金がある、仕方なさがある、本音がある。
ないのは使命と意気や気概だ。気持ちここにあらずとはまさにこのことだ。
もちろん全員に当てはまるわけではないが、概ねにおいてこのような要素が協力すると骨抜きもいいところのこのような式が完成するのだろうか。
分からん。
式というのは使命や気概があろうがなかろうが、とにかく出席させてうやむやでも何でもそこに属している感をうっすらとでも植えつけるのが急所的な役割なのかもしれない。
まだまだだ。
ちなみに私は昨年の1月にY浜市M区の
出初式で、区代表の自衛消防隊として
小型ポンプによる放水のデモを行いましたよ。
とても寒かった。
投稿情報: ぱんだ | 2011/01/13 23:21
僕の市でも放水のデモがありました。僕は見ていただけですが、消防車が30台弱並ぶ光景はなかなか壮観でした。出初式での放水のデモも通例なんでしょうかね。
投稿情報: 松田貴仁 | 2011/01/14 13:01