巷では、募金や寄付は額じゃないといわれている。じゃあどうして、“誰が”だけではなく、“誰がいくら”募金や寄付したかを報じるのか。そして僕たちも知りたがるのか。
それは募金は額じゃない、というのがほんとうではないからだ(みんな分かっていると思うけど)。
さっき、ソフトバンクが10億円寄付し、孫さんが個人的に100億円、そしてこれから引退するまで自らの役員報酬を寄付し続けると発表したというニュースに触れた。半端ない行動だ。立派すぎる。
募金は額が大きい方が社会への貢献度が大きい。
社会への貢献度が大きいことは立派なことだ。つまり額が大きいほうが立派だ。
それなのにみんながほんとうのことを言わないのは、少しでも多くの募金を促すためだ。
そしてほんとうは、募金は額じゃない、と思っていないことを抑圧するためだ。
しかし、それならもっといい言い方があると思いませんか。
募金は額じゃない、なんてあまりに建前が過ぎると思う。
僕はACのCMを見ても辟易しないけど、募金は額じゃない、というムードには辟易する。
もっとことばを探そう。そしてことばからつくられる気運をつくろう。そういいたい。
「少額募金のすすめ」とか。
「自分の気持ちに素直に募金したり、しなかったりしよう」とか。
(だめだ。なかなかいいことばは思いつかない)
募金は額じゃない、というウソをできれば隠蔽したくはない。
僕がそうだから言うのだけど、まったく人前で募金をできない人もいる。“いい人”に見られるのが嫌なのだ。自意識過剰だと自分でも思うけど、そう思ってしまう。
震災後に京橋の駅前を一度歩いたら「募金お願いします!」の声が耳に痛かった。そこを通り過ぎるのも嫌だし、募金するのも嫌だった。(募金活動していた方たち、すみません)
別の場所では一度だけ空気に折れて、財布の中にあった小銭、53円だけ募金した。しかしあれは、どうみても嫌々募金した。
募金が額なら、嫌々でも偽善でも一時的な気持ちだけでもいい。しかし額だけでもない。まして長期的にこういうことが必要になるのであれば、やはりもっと募金や寄付に対するウソのないムードをつくりあげていきたいところ。
だからさっき、三菱UFJ銀行の義捐金口座に、1万円募金しました。これならケチでシャイな僕にもできる。しかも、数字の移動だけだからか、“いいことをした”という感じもほとんどない。これはいい。
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