8月26~28日で仙台とその周辺へ行ってきました。
僕を含めた大学の友人5人(英之:仙台,はせくん:大阪,ぐっさん:東京,きよたくん:埼玉)で毎年1回はどこかに集まって(昨年は長野)観光したり麻雀したりしているのですが、今回は3.11があり、英之が仙台にいることもあって仙台に集まりました。ただし、きよたくんは仕事で来れず。残念。
ボランティアでも、何か物資を届けたわけでもありませんが、26日は徒歩で仙台市内を、27日はレンタカーで被災した地域を見てまわりました。
26日は仙台市役所にも行きましたが、エントランスロビーのところに日本だけでなく世界各地から寄せられた支援のことばや絵などが紹介されており、感極まらずにはいられませんでした。ミーハーですが、藤原紀香の手書きの長文の手紙にも胸を打たれました。
27日は仙台から45号線にのって多賀城市を抜けて七ヶ浜町をぐるっとし、また45号線に戻り塩竈市、宮城群松島町、東松島市、石巻市まで行きました。そこからは西へ向かい、大崎市鳴子温泉でいいお湯につかってから仙台に戻りました。
3月11日からもうすぐ半年が経とうとしています。
仙台は建物の補修や市民の生活の場としての復興も進んでおり、一見では震災前とかわらないように見えます。しかし、僕が見た中では東松島市や石巻市はまだまだ復興は進んでいませんでした。まだ瓦礫を主要な道路から撤去した段階にとどまっているところもあれば、損傷した建物や道路を直しているところもありました。石巻市の中心部では建物の並びに比して、人気がとても少なく生活の場はまだ奪われたままのように感じました。
当然ながら、僕が被災地を見に行ったからといって少しもどうなるわけでもありませんが、やはり実際にそこに身を置いて被災した物質を目の当たりにすると、そのときのことを想像せずにはいられず、たしかに現実であったとの思いを強めました。
ここに今回撮った写真の一部を載せています。
写真を撮るのがはばかられるところもたくさんあったのですが、場所を選んで写真を撮ったつもりです。
いちばん上から2段目の(左から)2番目までは仙台市です。
1枚目と2枚目は駅前のホテルメトロポリタン仙台です。外壁のひび割れや剥落の状況と建物の外観写真です。3枚目は仙台駅前のデッキをつなぐエキスパンションジョイントの損傷状況です。4,5枚目は仙台プラザホテルの壁のせん断破壊状況です。
2段目の3枚目から3段目の2枚目までは東松島市大曲の被災状況です。
鉄筋が破断され倒壊させられた電柱が瓦礫として積まれていました。3段目の1枚目と2枚目はガソリンスタンドの写真ですが、1枚目では間柱が折れ曲がって柱脚が引き抜かれています(たいした定着もされてなかったと思いますが)。2枚目ではキャノピーに穴があいていて、津波漂流物がこのレベルまで達していたことがうかがえます。
2段目の3枚目と3段目は石巻市の石ノ森萬画館と付近の写真です。
萬画館には7月3日に訪れた藤岡弘のメッセージが書いてありました。『仮面ライダー一号は永遠なり 復興!!』とありました。最後の写真は街灯の柱が破断している状況です(破断しかかっているのを危険なので切断したのかもしれません)。
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