正論をかざして気焔を吐く人がどうも苦手だ。
というか好きではない。
正論とは字面のとおり、
正しい論であって、
それは論において正しいことをいっているだけであって、
論以外の面では正しくないことも往々にしてある、
ということが正論をかざす人たちはあまりにも無自覚で分かってないように思える。
世俗の、生身の人間に対するとき、
特に悩んでいる人間に対しての
正論はその論においての正当さゆえに深く残酷にその人を傷つけることがある。
足掻いてもできないから悩んでいるのに、
言葉の上では堂々とした正論がある。
その現実(生身)と理想(言葉)の乖離を埋められない自分を
情けなく、不甲斐なく、みっともなく思い、憤り、傷つく。
ときと場合によるけど、
正論はしばしば発奮の材料にはならんよ。
何が言いたいかって、これが言いたいんです。
『坊っちゃん』で“おれ”が“赤シャツ”にやり込められそうになったとき、
- 議論のいい人が善人とはきまらない。
- 遣り込められる方が悪人とは限らない。
(中略)
- 金や威力や理屈で人間の心が買えるものなら、
- 高利貸しでも巡査でも大学教授でも一番人に好かれなくてはならない。
- 中学の教頭位な論法でおれの心がどう動くものか。
- 人間は好き嫌いで働くものだ。
- 論法で働くものじゃない。
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