高校時代の同級生であるりょうちゃんの結婚式と、大学時代の同級生であるぐっさんの結婚式と、大学時代の先輩である斉藤さんの結婚披露宴があった。
前の職場の人たちとゴルフにも行った。
フルマラソンに挑戦することを決意して肉体改造に着手した。
以上がここ1ヶ月の僕の主な動きなのだけど、まあ結婚式は多い。
りょうちゃんの披露宴の日が斉藤さんの日と重なってしまい、先に出席の返事を出していた斉藤さんの方へ行ったのでりょうちゃんのに出席できないという事態まで発生してしまった。りょうちゃん、ごめんな。
ぐっさんの披露宴は銀座だった(9月25日)。清田くんが友人代表で素晴らしいスピーチを披露し、奥さんの方の友人代表は及川リンさんというプロ(といっていいと思うのだけど)のミュージシャンの人が素晴らしい歌声を披露した。清田くんのスピーチがどれくらい素晴らしかったかというと、披露宴に出席していた新郎新婦の会社の上司たちが清田くんのスピーチを聴いて感嘆するのが見て取れたくらいだった。若造がスピーチでおっさんをうならせるのはなかなかできることではない。及川リンさんの歌声は、普段HM/HRや長渕を聴いている僕を翌日にCDショップに向かわせるくらいに素晴らしかった。生で聴くプロの人の声は素晴らしい。
斉藤さんの披露宴は金沢だった(10月2日)。斉藤さんの披露宴では久しぶりに金子さんに会えて嬉しかった。大学時代、僕に「薫陶」という語彙を覚えさせたのは金子さんだった。金子さんはお腹が出ていたが、相変わらず金子さんの空間を作り出して僕は居心地がよかった。その日はみんなで斉藤さんが手配してくれた金沢のホテルに宿泊し、翌日は金子さんと川田さんと福井県の永平寺に行った。日本の昔の豪壮な寺社建築に出会うと僕がいつも感じるのは、樹齢何百年、何千年という木材を柱や梁につかった架構というものが形作る空間の力だ。力というのは、それこそ豪壮さであったり、積み重ねた時の重みであったり、非日常的な木の架構のスケールであったり、そして今もなおそれが建物としての息吹を失わず、人によって使用され、訪れられていることなどによるもので、ひと言でいえば口をぽかんと開けて「すげえなぁ」と思わせる何かである。永平寺のあとは富山でブラックラーメンなるものを食べたのだけど、とにかくしょっぱかった。味覚がまだ未発達な子供にしょっぱい料理を教えようと思ったらこれを食べさせればよいとまで思った。しょっぱすぎる以外は旨かった。
9月半ばに行った笹井さんたちとのゴルフは、僕にとって5月以来のゴルフでかなり不安だったけれど、なぜだか調子が良くて90という自己記録を1縮めるスコアが出た。ふだんはパーを取ればかなり満足なのだけど、こういうときはなんだかパーが当たり前になってくる。大してとれてないくせに。人間というのは恐ろしい。笹井さんに、僕のゴルフのいいところを見せれてよかった。
1週間ほど前には、クスダくんが今年はフルマラソンをやりましょうと誘ってくれたので、いい意味での想像力の貧困さを発揮して二つ返事でオッケーした。何しろ僕は去年に初めて挑戦したハーフマラソンで、16kmを越えたところで気持ちが折れてしまい、残りは全て歩くという敗北感を味わっていたのだ。フルマラソンへの挑戦を軽く決意してしまった自分に対して、なかなかのチャレンジ精神で結構じゃないか(それは想像力貧困によるものなのだけど)という自分と、ハーフさえ走りきれてないのに本当に大丈夫なのか、またあの敗北感を味わうのではないかと恐れを抱いている自分がいた。
あくまでも今思えばということだけど、去年はハーフマラソン完走という偉業を軽んじていた気がする。だってその前に練習では20kmを完走できていたし、体調も整えたつもりでいたから。だから本番では、タイムは別にして完走できないことはないだろうと思っていたのだった。あれが良くなかった。とどのつまり、ハーフマラソンを舐めていたということだ。今年は同じ轍を踏まないように、去年とは比較にならないくらいの周到な準備をしなければならない。準備の具体的内容についてここでは省くけれど、そんなわけで僕は真面目に肉体改造に着手した。
そして最近では平川克美「移行期的混乱」と貫井徳郎「空白の叫び(上・中・下)」と「失踪症候群」、大崎順彦「地震と建築」などを読んだ。また別に機会に書きたいと思う。
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