― しかし見ろ、この単純の美しさを。
― 刀は、刀は美人よりも美しい。
― 美人は見ていても心はひきしまらぬが、刀のうつくしさは、粛然として男子の鉄腸をひきしめる。
― 目的は単純であるべきである。
― 思想は単純であるべきである。
― 新選組は節義にのみ生きるべきである。
(司馬遼太郎「燃えよ剣(下)」新潮文庫P96)
武州多摩に生まれ、試衛館の田舎武士であった近藤勇は、新選組局長としておおいに立身出世を遂げた。しかし政治や思想が好きでありすぎた近藤は、いちいち諸藩の情勢にうろたえた。新選組副長である土方歳三が、そんな近藤の様子に辟易して病床の沖田総司に話しているところである。
思想と信念あるいは主義の違いは何か。単純な目的はあるにしても、単純な思想という言葉は僕の中にはない。もしもあるとすれば、その思想は幼稚である、と思っている。
それはいいにしても、この「燃えよ剣」、歳三と近藤の絡み合う人間模様もおもしろい点のひとつだ。ガキの頃から同じ道を一緒に歩んでいる二人であり、新選組局長と副長という二人であり、議論好きの政治家気取りと職人気質の喧嘩家そのものの二人でもある。幕末を駆ける中、強い同朋意識を感じる事もあれば、反駁し合うこともある。常から組織は相補的であることが肝要だと考えている僕にとっては「人はこういうふうに考えることもありうるのだ」と思えておもしろい。
今は、鳥羽・伏見の戦いが終わったところまで読みました。
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