ネットの読売新聞の中で紹介されていたので、早速買って読んでみた。巨人軍球団代表の清武さんの著書「こんな言葉で叱られたい」(文春新書)。本のタイトルだけなら購買意欲をそそられないのだけど、著者が巨人の代表で、しかも内容が巨人を中心とした野球界の人たちの言葉を紹介したものとあれば、これはもうそそるのに十分だ。僕は巨人に目がないのだ。
清武さんは元記者(無論、読売新聞社の)である。言葉を扱うことを仕事とし、言葉の力を信じる者たちが集まっているはずの新聞の世界だが、実はかつての職場で飛び交っていた上司、同僚、後輩への叱咤や励ましのための言葉は意外と貧しかったのかもしれないと清武さんはいう。本文では“私たちは知力を偏重するあまり、肉体に宿る言葉を軽視していたのではないかと思う”といっている。また、ダイキン工業の井上会長(兼CEO)の“ロジカルでは人は絶対に動かない。ノンロジカルが大切だ。理屈をこねて論理の力で押し切ろうとすると、サラリーマンは往々にして面従腹背する。トップには感性がものすごく重要だ”という言葉もひいている。僕は、ロジカルで人は動かないというのは言い過ぎだろうと思うけど、たとえば最後の一押しや予想を遥かに越えた力を発揮してもらうためにはたしかに理屈ではいけない。余談だが、この井上会長の言葉を読んで夏目漱石「坊ちゃん」の一節を思い出した。“金や威力や理屈で人間の心が買えるものなら、高利貸しでも巡査でも大学教授でも一番人に好かれなくてはならない。(中略)人間は好き嫌いで働らくものだ。論法で働らくものじゃない。”(新潮文庫「坊ちゃん」P125) この言葉自体が理屈なのだけど、ここには情理とでもいうようなものがある。
僕は、言葉というものは時に全能的なほどの力を持つけど、時にはあまりにも惨めなほどに無力であるものだ、としばしば思う。そこを分けるのは、どんなときにどんな人にどんな言葉をかけるのかだ。冒頭でもいったとおり、この「こんな言葉で叱られたい」には、清武さんが巨人の代表となって現場で見聞きした言葉やエピソードが紹介されている。すぐに読めてしまうものだし、巨人やプロ野球が好きな人にとってはなかなかおもしろいと思うので、読んでもらうといいと思う。
言葉というわけではないが、強烈だったのは原辰徳監督の父である原貢さんが三池工業高校の監督をしていたときの話だ。50年ほど前の話だが、その頃は根性野球というのか精神野球というのか、鉄拳制裁が今よりもはるかに是とされていた時代で、原貢監督の行動は凄まじい。そのまま引用してみると、“ある日、三塁手がノックを受けてエラーを続けてしまったとき、激怒した原がつかつかと歩み寄り、一気に押し倒すや否や、そのまま選手を足蹴りして一塁まで転がしていったときもあった”とある(P158)。幼かった原辰徳少年は「上手くなるにはあれほど殴られないといけないのか」と思ったという。壮絶です。