今年、センター試験を受けた同い年の友人がいる。
僕がセンター試験を受けたのは9年前だ。友人も9年前に同じようにセンター試験を受けた。でもいろいろあって、というわけでもないけど、まあ若気の至りというか、そんなことで大学には行かなかった。それで今年、本人に思うところがあったのか、受験を決意したそうだ。
そして昨日、その友人から自己採点による点数の報告があった。 受験前に予想していたより良かったらしい。 素晴らしい。
大方の人がそうであるように、 9年前の僕も予想していた点数ほどは取れなかった。
阪神競馬場が近く、 琵琶湖も遠くなく、 何となく洒落ているようにみえて、 地元からも遠くない。
この4点より、僕は神戸大学を志望校としていた。 名古屋大学は近かったが、 みんながいるので志望校とはしたくなかった。
大学生という新しい生活をスタートさせて、 馴染みの友人とつるんでいるよりも全く新しい人たちに会いたかった。
しかし、センター試験で思った結果が得られなかったので、 僕はそれまで第三希望にも書いたことがなかった北海道大学を受験することにした。
今はどうだか知らないけど、 僕のときは北海道大学のほうが2~3%センターのボーダーが低かった。
しかも河合塾のセンター速報か何かで 「今年はセンターで思うような点数を取れなかった阪大志望の人が神戸大に流れる数が多そうです」 と言っているのを見た。
僕は同じ大学を目指す人の中での二次試験の競争なら、 センターでハンディが多少あっても取り戻せる自信があったけど、 大阪大学志望の人には負けるだろうと踏んだ。
だから、河合塾のセンターリサーチの第三希望に 何のつもりもなしにたまたま初めて書いた北海道大学を受験することにしたのだった。
最後の決め手は父が言った 「北海道は飯が美味いでな。俺も遊びに行けるわ」 という一言だった。
そのときに僕は、 「ふ~ん、そんなもんか。よし、北海道大学にしよう」 と決心したのだった。
今でもときどきは思う。
もしも神戸大学に行っていたらどうなっていただろう。
札幌でも競馬場やウインズには行っていたからそこに変わりはない。
麻雀はどうだっただろう。たぶん佐々木がいないから、あれほどはしなかっただろう。
大学生の浮かれイベントのひとつである花火大会の日に、 4年連続佐々木と麻雀をするようなこともなかったはずだ。
ラーメンやスープカレーや海鮮物についての舌もそれほど肥えなかったかもしれない。
あんなに快適なゲレンデを心ゆくまで満喫することもなかっただろう。
薫陶、という言葉を覚えることもなかったかもしれない。
当たり前といえば当たり前だが、なかっただろうことしか想像できない。
それはありがたいことではあるが、 でもだからこそ神戸に行っていたらどうだっただろうと興味が湧く。
そう考えると、 センター試験はプロ野球のドラフト会議に通じるところがある気がする。
もちろん僕は(巨人ファンだが)指名されればどの球団でも行く人間だ。
どこの球団に行っても野球をする。
僕もどの大学に行っても建築を勉強することになっていた。
けれどその後の人生は、2つ目や3つ目に所属した球団よりも、 最初に所属した球団に左右される部分が大きいだろう。
専門的教育を初めて受ける環境で、その人の専門的志向も方向付けられる部分はあるといっていいと思う。
ドラフト会議では選手の行く先が相手からの指名や競合した場合はくじ引きで決められる。
だいたいの受験生の行く先はセンター試験の点数で決められる(勉強したいことや将来のことを、現実的に考えて受験校を決定する受験生は稀だ)。
このセンター試験が、あえて言わせてもらえば、博打のようなものだ。つまり、受験校を自分で決めているようで、決められている。命運は握られている。
センター試験の国語の問題なんて一問間違えたら7点減点されたりする。7点といえば全体の1%程度だ。これが他の科目も合わせて3つあれば3%。これは大きい。
たしかに問題は論理的に解答に到達できるように作成されているのだろうけど、ある意味で熱くなっている受験生に冷静沈着に理屈をたどれといわれてもなかなか難しい。国語で文意を問われた問題の選択肢などは、総合的にみたら大差ないが選択肢中のひとつの文言が正答にはそぐわないので正解の選択肢とはならない、といったものがよくある。これには僕も模試も含めて何度もやられた。
それが試験だということに異論はないが、そのときの気分や状況や考えていることによって、点数はわずかに上下し、それで志望校を変える人も少なくはないはずだ。
あたかも、受験大学から選ばれたように。
乱暴だけど、そんなふうにも考えられませんか。
あのとき、あそこを間違えていなければ。