ときどき思うのだけど、たとえば服飾関係の仕事をしている人は街を歩く人たち(の服)を服飾的視点で見てしまうのだろうか。電力関係の仕事をしている人は目に映るすべての電気に関わるものを電力供給的視点で見て、自動車関係の人は自動車製造的視点で見てしまうのだろうか。
他人にとって世界がどう見えているかどうかはときどき気になるところだ。
なぜそんなことを考えるかというと、僕たち建設に携わる者にとって(少なくとも僕にとって)目や心に映る世界の中心に存在しているのはだいたいが建物だからだ。他の人はどうなのだろう。
大袈裟な言い方をすれば、僕たちは建物によって世界を把握する割合が大きい。
服飾関係の人は(この辺りの人たちは住んでいる年齢層もあるのだろうけど、落ち着いた服装の人が多いな)などという印象のされ方をするかもしれない。
でも僕たちは、(この辺りの住宅はニュータウン開発が隆盛のころに建てられたもののようだ、ということは…)と印象される。
これは理屈の話だが、感覚的な印象の上でも僕たちは建物によって世界を測っている。
建物がないところでは建物的なもの(木も岩も、風に揺られる草も、それはもう全てなのだが)を建物的な視点で見てしまう。
人が字があると読んでしまうように、建物があると建物を見てしまうのだ。
そんな固定的な視点をリセットして、世界を見ることもできたらいいのにと思うことがある。
山本学治「造型と構造と」(SD選書)を毎日少しずつ読んでいる。現在3分の2程度まで読んだ。
この本は、構造にも歴史にも通暁する山本学治(1923-1977)さんがその題のとおり、(一般世間的に意匠とかデザインとか言われる)造型と(柱や梁や壁や床といった一般世間的な意味での)構造とについて、時代を通した両者の変遷や連関の仕方を解釈という枠組みを越えて山本学治さん自身の考察及び批判を加えて書いたものだ。
本文の中には知識として蓄えたい建築技術の変遷がたくさんあるが、それ以外にも山本学治さんの当時そして(当時からの)未来へ向けた建築技術及び建築設計に対する僕たち技術者のあり方を警告するような、はっと襟を正されるような箇所も散在している。
今日読んでいて当時にもこのようなことをこんな言い方で言える人がいたのか、と思った箇所があるので長くなるが引用したい。〔デザインと構造の総合について〕という小題の中にある。これはたぶん、建築の世界だけではなく、他の分野においても当てはまるだろうと思う。
― 現在、デザインと構造の関係が重要視されねばらならない理由は、
― よく言われているように、
― デザイナーが構造を理解せず、構造屋がデザインを理解しない、
― というような両者の勉強不足の程度にあるのではない、
(中略)
― もし、ある材料を適切に用いて、ある目的のために適切に機能づけられた建物を形作ることを
― 建築の設計、すなわちデザインと呼ぶならば、
― デザインと構造などという言葉の使い方自体がへんである。
― 現代建築の不幸は、デザインが構造と分離していることにあるのではなく、
― 構造計画を含まれない設計行為をデザインとしているところに始まっている。
(中略)
― 設計という行為の究極はいうまでもなく「形をつくる」ことである。
― けれどもそれは過去様式のモティーフや雰囲気、
― また新しい技術が創り出すドラマティックな形態のような個人的な観念的なイメージによる「造型」ではない、
― 機能的な空間の配置、力の流れに従ったバランスのとれた構造、
― 効率のよい設備、耐久性のある施工などの設計要素のおのおのは
― その目的に従ってそれ自体として最も合理的な、
― それぞれ異なった建物の「形」またはあり方を提出する。
― 「形をつくる」ということはそれら数種の形を整理し、
― 諸要素の要求の最大公約数をバランスのとれた姿に結晶させる総合行為である。
(P98~)
「デザインと構造」などという言葉の使い方はへんなのである(僕は実は“機能”という言葉もへんだと思っている。多くの人は“用途”のことを“機能”と言っているにすぎない)。
第一線で活動しているようないわゆる建築家と構造家の方々においては、山本学治さんがあるべきとした協働の形で設計行為をしている人もたくさんいるように思われる。もちろん第一線でなくとも、そういう人はいるに違いない。
でもたぶん一般において、構造設計者は「建築家の下働きとして、構造体の配置や部材寸法をなんとか建築家の指示どおりにしようと苦労しながら、規則どおりの計算を繰り返して」(P75)いる。おもしろいのは、この引用の文が戦前の状況を指して言ったものなのに、今でも通じてしまうことだ。
今でも通じてしまうというのは、いかにこの界隈の体質が良くも悪くも惰性的であるかということを示している気がする。良い所、悪い所を自分で考えて決定していかなくてはならない。