長渕の曲に「ガンジス」という曲がある。
被災地と被災地の方たちを想像するとき、僕はこの曲を思い浮かべる。そしてこの「ガンジス」から、被災地と被災地の人たちが想像される。
「ガンジス」はもちろんインドのガンジス川のこと。長渕がインドに行ったときにつくった曲で、この曲をつくったとき、長渕さんの母親はだいぶと弱っており、長渕は生と死について考えざるをえない状況だったらしい。ガンジス川で長渕が見た光景をうたっている。
この歌詞、そして曲と長渕の声を聴くと、僕は想像してしまう。
以下は僕が所々略して、抜粋したものです。
- 俺は今 揺れる小舟の上 ガンジス川を下ってる
- 細い路地裏には 死を待つ老人の群れ 座ったまんまで動かない
- 俺は舟を降り 3時間近く 焼け崩れる真っ黒い人間を見た
- 「神様はどこにいるのか」と尋ねたら
- 老婆は 笑いながら自分の胸を指した
- やがて跡形もなく 白い灰になり
- 黄土色のガンジスに流された
- わかっちゃいたけど
- 人間って奴が 確かに眼の前で灰になった
- 裸足で櫓をこぐ老人が 憂い顔で俺に笑いかけた
- 深いしわを顔中に刻んで
- 「死んだら灰になるだけさ」と笑った
- 旅をするのは帰る家があるからだ
- さすらいの旅ほど 淋しいものはない
- ふと虚しさに 突き落とされそうになったけど
- 「死んだら灰になるだけさ」と笑ってみた
- Bye Bye ガンジス もっと生きようと
- Bye Bye ガンジス 俺の命が叫ぶ
- さよなら 名も知らない死人(しにびと)たちよ
- あなたのように 強く死ぬまで生きようと
- Bye Bye ガンジス お前は黙ったまんま
- Bye Bye ガンジス 答えなど初めからない
- あるのは今 確かに「俺」 ここにいる
- そして明日 東京へ帰る
10日前の午後、多くの人の目の前で、たしかに津波が来て、たしかに家族が波にさらわれた。
地震から数日後、避難所でカメラを向けられたしわくちゃのばあちゃんが「東北の人は強いだべさ」と笑って言っていた。
僕がこんな想像をできるのも被災してないからだろう。そしてこともあろうか、僕はそのばあちゃんに甘えて、ここにこれを書いている。
多くの人がたしかに津波にさらわれて命を落とした。でも(?)、僕は昨日も今日も10日前も、たしかにここ大阪にいる。
考えてみせたり、哀しんでみせたりしても、あの光景が僕に何か答えてくれるわけではない。
たしかなのは、ごうごうとして、厳然とした、容赦ない現実があったということだ。
そして、答えは現実が与えるわけではなくて、現実に与えてみること。
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