森田さんのことが案じられますが、笹井さんはとりあえず処分も決まりひと段落です。
中断していたプラハ備忘録も書かなければいけません。
最近では村上春樹『1Q84 Book 1-3』と東野圭吾『ガリレオの苦悩』と岡本太朗『美しく怒れ』と、今日は小田嶋隆『地雷を踏む勇気』を買ってきて読みました。沢木耕太郎『危機の宰相』も一緒に買ってきました。
今は内田樹『他者と死者』、下村治『日本は悪くない』を読んでいます(下村治は内田センセのブログで知りました)。『他者と死者』は間抜けなことに単行本で1年以上前に買って読んだのを忘れて、このたび発売された文庫版を買ってしまいました。読み直すいい機会にしておきます。
これらの中で特には「1Q84」について書きたいと思うのですが、まだ時間が要りそうです。
仕事では適判に“追従性の可否”を問われ、頭を悩ませました。あれはどうなんでしょう。RC純ラーメン構造の変形に、片持ち式階段の支持壁が“単純に”(面内方向に)追従しようとすればそりゃあ大きな応力が発生しますわな。そうするとそれなりの鉄筋も要りますわな。まあよろしい。
そういえばこの前、昼休みに【仕事/work】という語の国語辞典と英英辞典の意味を調べたら、なかなかおもしろかったので載せておきます。
仕事 ・・・ 生計を立てるために従事する勤め。職業。 〈大辞林〉
work ・・・ a job or activity that you do regularly, especially in order to earn money 〈Longman〉
“生計を立てるため” と “お金を稼ぐため” という点で異なるのが興味深いです。
では【従事】は何かとなると 【仕事にたずさわること】〈大辞林〉となり、意味が行き来し、あまり意味をなしていません。【勤め】も同じで【会社・官公庁などに雇われて働くこと。また、そこでの仕事。勤務】〈大辞林〉です。
ならば【 job 】はというと【the regular work paid work that you do for an employer】〈Longman〉となっており、やはりというか“paid”が出てきます。
“work”に関しての、“earn money”だとか“paid”とかいうことばに触れるとすぐに連想されるのが、今や日本でも金科玉条となっている「Time is money」です。「残業代」なんていう制度はまさにこの考え方を拠り所としています。(屁理屈をいえば)「仕事」なんだから事に仕えているはずなのに、残業代という考え方は時間に仕えていることを示しています。
そうするといつから残業制度なるものが始まったのか気になりますが、すぐには分かりませんでした。
僕は市役所に在職していたときには残業代というものがありましたが、今の設計事務所では年俸制になっておりありません。(再び屁理屈をいえば)事に仕えていることになっています。そうすると残業代とは一体何だったのかと考えるわけです。
だいたいいつ頃から誰が「Time is money」と言い出したのか。
平川克美『移行期的混乱』ではベンジャミン・フランクリン(1706-1790)という人のこんなことばが引用されていました(P71)。
- 時間は貨幣だということを忘れてはいけない。
- 一日の労働で10シリング儲けられるのに、外出したり、室内で怠けていて半日を過ごすとすれば、
- 娯楽や懶惰(ライダ)のためにはたとえ6ペンスしか支払っていないとしても、
- それを勘定に入れるだけではいけない。
- ほんとうは、そのほかに5シリングの貨幣を支払っているか、むしろ捨てているのだ。
ここでは“仕事”ではなく“労働”になっていますが、「Time is money」の萌芽のひとつかもしれません。
今日はそんなところで。
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