長嶋監督と松井選手が国民栄誉賞を受賞することが決まったようです。
巨人ファンで松井ファンの僕としては当然うれしい。
ひいき目ですけど、松井選手のコメントはやっぱり素晴らしいです。
(僕が想像する限りの)人柄がにじみ出ています。
「恐縮しております。
長嶋監督の受賞は日本中の方々が納得されると思いますが、
私は監督に愛情を注いでいただき、20年間プレーすることができました。
ですから、この賞もひとえに監督のおかげです。
正直、現時点での私がいただいていいものかどうか、という迷いもありますが、
今後、数十年の時間をかけて、
この賞をいただいても失礼ではなかったと証明できるよう、
これからも努力していきたいと思います」
“迷いもある”というのは率直な気持ちだと思います。
長嶋監督は分かるけど、俺は?というのもそうだし、
イチロー選手が国民栄誉賞をお断りしたということも頭をよぎったのではないでしょうか。
けれど、松井選手が冒頭で述べているように、
彼は“ひとえに監督のおかげ”だと感じているので、
長嶋監督の弟子ということもあっての受賞なら師匠の栄誉のためにも受けるべきで、
そしてその栄誉に泥を塗らないように、
“数十年の時間をかけて”長嶋監督は選手としても監督としても大変素晴らしかったということを
“証明できるよう”生きていく。
それが長嶋監督への、そのファンへの、自分へのファンへの恩返しだという
決意のひとつの表明であり、それが自分の使命だということの再認識である。
そう松井選手は考えているのではないでしょうか。もちろん勝手な想像ですけど。
いまどきメディアに出てくるような人で、数十年かけて何かを証明するよう努めたいと思います、という人はおりませんよ。
それも自分のためじゃなくて、他人のために。
「ナガシマは分かるけど、マツイは早いでしょ」とか「自分の政権の人気取りか」と思う人がいるのも、ニュースでそういう意見を報道する当然といえば当然なのですけど、僕にしてみれば「そんなにどうでもいいよ。何を言っているのか…」というかんじです。
松井選手はほんとに間違いがありませんね。あこがれざるをえません。
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