「僕は僕なりのエンタテイメントを追究したい」
と東野圭吾さんが言っていた本だか紙を本屋で見かけた気がする。
東野圭吾「使命と魂のリミット」(角川文庫)を読んだ。
多くの人に読みやすく入りやすい物語と適当な意外性。
損得で本を読むわけじゃないが、読んで損はないのが東野圭吾さんではないでしょうか。
外さない、という意味で。
良質なエンタテイメントをきちんと提供してくれる。
(“適当な意外性”ってまったく適当ではない言葉の選択な気がしますが、見つからないから仕方が無い。要は、このつなげ方は東野圭吾だ、というある種のお決まりの読後感を与える意外性というか。)
そして一昨日、村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」(新潮文庫)を買った。
村上春樹さんは自作をエンタテイメントとは称しないと思う。
どうしてそういう人の本がこんなに売れたのか。
読み応えのある本(読むのにパワーのいる本)がどうして。
買った人はみんな読んだのでしょうか、「1Q84」。少し興味がある。
僕はまだ読んでませんが。
ポップスより流通、露出されるプログレッシブロックという印象をどうにもぬぐえない。
なぜだ。